沢木耕太郎のエッセイに、食べ物に関する習慣について書いてあった。
自分が普段何気なく当然と思って食べている方法が、実は家庭によって違いがあるというのである。
これはたとえば、てんぷらを何で食べるかということを考えればわかる。
私はずっと天つゆに大根おろしをいれててんぷらを食べており、それが普通だと思っていた。
ところが、しょうゆをかけて食べる人もいれば、ソースをかけて食べる人もいる。
塩だけの人もいるだろう。
また、私はトマトを食べるとき、まず輪切りにしてお皿に並べる。
そしてその上から砂糖をたっぷりかけて、ラップをして冷蔵庫で少し寝かせるのだ。
そうすると、トマトに砂糖がしみこみ、出てきた水分は甘いトマトジュースとなる。
それをずずっと飲むのが快感なのだ。
ところが、大人になって外でご飯を食べるようになると、トマトに塩をつけたりマヨネーズをつけて食べることを知り、砂糖をまぶして食べる人などいないということを知ったときはそうとう驚いた。
どうやら、東北とか北海道のほうではこういう食べ方をするというのは、ケンミンショーを見て知った。
自分が当然だと思っていた食べ方が普通じゃないと知ったときの驚きは相当なものがある。
そのエッセイには、納豆の食べ方が出ていた。
とある女性が豆腐屋の息子と知り合い、そこの家で夕食をいただくことになった。
食卓に彼女が大好きだという納豆が出てきたのだが、その女性は手をつけようとしない。
理由を聞くと、「このあとに豆腐が出てくると思っていたものですから・・・」と言う。
豆腐屋の家だから豆腐が出てくると思ったのではなく、彼女の家では納豆を豆腐にかけて食べるのが当たり前で、ほかの家でもそうしていると思っていたらしい。
だから、納豆のあとに豆腐が出てくるのを待っていたということなのだ。
このエッセイを読み、なるほど面白いなと思いつつ、この納豆の食べ方に惹かれてためしてみた。
まず豆腐は絹ごしにして、電子レンジで数分温める。
そうすると余分な水分が出てくるので、捨てる。
ぬるくなった豆腐の上に、よく混ぜた納豆、卵の黄身、長ネギ、付属のダシしょうゆをたっぷり乗せる。
余裕があるときは、まぐろの切り身なんかも混ぜる。
そしてそれをかき混ぜずに、スプーンですくって食べるのだ。
すると、ふわっふわとした豆腐と納豆、ねぎの食感が合い、ものすごくおいしい。
豆腐一丁に納豆3パックを乗せると、おなかいっぱいになってそれだけで夕食は済んでしまう。
沢木耕太郎のエッセイに出てきた女性は、こんなおいしいものを小さいころから当たり前のように食べていたのだ。
彼の家で恥ずかしい思いをしたということだが、そのおかげでエッセイにとりあげられ、私もその食べ方を知ることになったのである。
そう書いているブログを読んで、試してみる人が出ると面白い。
みなさんが普段何気なく普通だと思っている食べ方も、もしかしたら「変わってる」食べ方かもしれない。
考えたことはあるだろうか。