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re-Heart Note

リハート、それは心癒す日々。

美容内科医 服部達也 ブログ
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在宅療養支援診療所の数

さて、在宅療養支援診療所について書いたけど、実数が出たので書いてみよう。

全国に診療所は10万件くらいあるらしく、そのうち在宅療養支援診療所として届け出を出しているのは1万4320戸らしい。

6年前のデータでは1万3758戸だったから、少し増えている(ハートリークリニックがそのうちの1戸)。

結構な数があるじゃん!と思うかもしれないけど、全自治体の3割に当たる552市町村では在宅療養支援診療所がないらしい。

このうち9割は町村部になるが、市でも55市では在宅療養支援診療所がないとのこと。

そして、北海道や東北がその半数を占めるらしく、在宅で看取りができる人の数がとても少なくなっているということだ。

積雪などの気象条件や山間部などの交通条件が悪いため、そのようになっているとのこと。

 

また、在宅療養支援診療所として登録していても、年間の看取り件数が1件もないというところが4割もあるという。

ということは、在宅療養支援診療所として登録していても、実際には訪問診療していないところもあるということだろう。

 

もちろん、看取りしてくれるような病院がたくさんある地域では、家で看取りをしないで病院で亡くなることがほとんど・・・ということもあるだろうから、在宅療養支援診療所が無い地域=医療過疎地というわけでもない。

また、在宅療養支援診療所として登録していなくても、積極的に在宅の看取りをしている診療所もあるだろう。

つまり・・・在宅療養支援診療所の数だけでは実際の在宅医療については何とも言えない・・・ということになるか。

 

あー、なんかすっきりしない終わり方。

| 服部達也 | 医療問題 | 19:02 | comments(4) | - |
難病指定医
三重県の津市でおこなわれた「難病指定医」の研修に行ってきた。

平成27年1月に「難病法」が制定されて、難病の人が助成を受けやすいようにしようというふうになってきた。
その中で、「難病指定医」に関する制度も緩和された。

「難病」とは「発病の定義が明らかでなく、かつ治療方法が確立していない希少な疾病であって、当該疾病にかかることにより長期にわたり療養を必要とすることとなるもの」と、新たに定義された。
難病の患者さんが特定医療費の支給を受けるには、医者が患者さんを診て「臨床調査個人票」という難病ごとにつくられた特定の診断書をつくり、それをもとに申請をしなくてはならない。
その「診断書」を作れる医者は「難病指定医」でなくてはならない。
「難病指定医」になるには、大きな学会の専門医資格を持っていることが必要である。
ところが、それだけでは医者の数が足りないと判断したのかどうかわからないが、特定の研修を受ければ「難病指定医」の資格を与えられることになり、専門医を持っていない医者にも門戸が開かれることになったのだ。
私は専門医や認定といった資格には全く興味がなく、最初からそういうのはとる気がなかった。
町医者しかやるつもりがなかったので、肩書なんかにはこだわらねぇよ!と斜に構えていたのだ。

訪問診療をしていると、病院には通うことができない患者さんを多くみることになるが、そういった患者さんも難病を抱えていることがある。
難病の指定を受けたり書類を更新するためには、大きな病院や専門医のいる病院まで行って長い時間待ち書類を作ってもらうしかなく、患者さんや介護者に負担をかけていた。
ところが今回の改正により、特定の研修を受ければ私のような医者でも「難病指定医」となり、「(難病認定用の)診断書」を作成することが可能になったのだ。


まだ法律が制定されたばかりなので、今回が初めての研修となり、私は1期生となる。
三重県では今回の制度で「難病指定医」となったのは389人ということだ。
多いのか少ないのか分からん・・・

とにかく、動くことができない患者さんを多くみている私としては、わざわざ専門医のいる病院を受診してもらう負担をなくすことができるようになったのはとてもありがたいこと。
大いに活用させてもらいたいと思っている。
 
| 服部達也 | 医療問題 | 18:34 | comments(3) | - |
失われた名誉と信用の回復は・・・
今年の7月、訪問診療をしていた医師が、「訪問先の80歳男性の自宅からその患者さんのクレジットカードを持ち出して勝手に使った」ということで逮捕された事件があった。

その時のニュース記事はこちら

そのニュース記事には、逮捕された医師は「そのカードでペット用品や飲料品を買ったと容疑を認めている」と書いてある。
それを受けて、医師の集まる交流サイトでもとんでもない医者がいるもんだと非難が集まっていた。
ところが、実は真犯人が見つかっていて不起訴になっていたのだ。
逮捕された医師が自分のfacebookにそのことを書いているけど、医師自身は最初から否認していたらしい。

逮捕を受けて、経営していた医院は廃院してしまったらしく、医師の名誉も傷付いたままだ。
なんせ、逮捕された時には実名も顔写真付きで大々的に報道され、医者にもろくでもないやつがいたもんだと叩かれたのに、誤認逮捕でした彼は無実でしたと分かってもそれについては全く報道しない。

その医者の名前で検索すれば、逮捕されて罪を認めたという記事は出ても、真犯人は別にいてまったくでたらめな逮捕だったという記事は出てこない。
そうなると、これからどこで働いても間違って着せられた汚名は付いて回り、一生指を差されることになってしまう。

こういうことは今までにもあって、報道機関なんていい加減で自分に都合のいいことしか報道しないもんだと分かっているけど、こわいのは「容疑を認めている」と警察から発表されたことだ。
否認し続けている人からどうやって容疑を認める発言を引き出したのか、もしくは本人は認めていないのにマスコミに嘘を言ったのか、想像するだけで一般市民からするととんでもなく恐ろしいことではないか。
免罪事件の話はいろいろ聞くが、やってもない人を犯人に祭り上げることに固執するのではなく、真犯人を探し出すことに心血を注いでほしいものだ。


とにもかくにも、「被害にあった」医師の名誉回復が一刻も早くなされることを願うばかりである。
| 服部達也 | 医療問題 | 17:02 | comments(2) | - |
訪問診療できる範囲
前回、訪問診療で大森から綾瀬、和光のほうまで回っていると書いたけど、一応訪問診療をしていい範囲というのは決まっている。
元となる医療機関から、直線で16km以内と。

地図で見てみると、


小さくて見えにくいが、新宿を中心に径16kmとなると南は川崎、東は江戸川、北は川口、西は西東京くらいまでとなる。
直線で16kmったって、道はまっすぐじゃないから移動距離は相当なものになる。
そもそも範囲設定が間違ってんじゃないかと思うけど、しょうがないのかね。
 
| 服部達也 | 医療問題 | 14:51 | comments(2) | - |
在宅医療の危機(だと思う) 
さてさて、と。
僕はハートリークリニックが休みの水曜日と日曜日、他のクリニックで訪問診療の仕事をしているのは前にも書いた。
もう長いこと訪問診療に携わっているけど、これがいま結構ピンチな状況なのだ。
医療関係者なら大抵知っていることだと思うが、一般には知られていないと思うので書いておこう。

訪問診療には大きく分けて二つの形態がある。
一般在宅と施設在宅だ。
一般在宅というのは、普通の個人の家に行って診療するもの。
それに対して施設在宅というのは、老人ホームやグループホームなどに入所している方を訪問して診療するもの、である。

4月からの診療報酬で、この施設在宅に対する報酬がものすごく減らされてしまったのだ。
というのも、施設ごとに訪問診療すると、1日のうちに患者さんをまとめて診ることができるため収益が大きく、悪さをする業者が一部いたことが新聞などで取り上げられたのだ。
そりゃ儲けすぎじゃん、ということで診療報酬が大きく引き下げられたのだが、まじめにやってきた医療機関にとってはものすごく大きな打撃となってしまうこととなった。


いままでは、2週間ごとに月2回、施設に入居している患者さんのところに行って診療をしていた。
(*診察の日以外に体調が悪くなれば臨時に往診して診療する)
ところが4月からは、同じ施設にいる患者さんを同じ日に2人以上みた場合には、在宅時医学総合管理料や訪問診療料が大きく下げられてしまうことになったのだ。
つまり、いままで同じ日に全員診ていたものが、別々の日に一人ずつ診て回らないといけないということになってしまったのだ。
(*まあそれでも今までより報酬が下げられてしまうのだけど)

月に1度は同じ日に診ていいということに譲歩されたから、ます月の最初のほうに全員診る。
そんで、残りの日を使って、他の入居者を一人ずつ順番に診て回ることになる。
これが大変なのよ。

今働いているクリニックでは、たぶん20くらいの施設を診ていると思うけど、その施設を転々とまわって一人だけ患者さんを見たら次の施設に行ってまた一人診て・・・というのを繰り返すことになる。
1日のうちに10〜15の施設を回るのだけど、実際に患者さんを見ている時間よりも、移動している時間のほうがはるかに長い。
しかも、患者さんを多く抱えているクリニックほど医者をたくさん用意しておかないとさばけなくなるから、医者の補充も大変だ。
そんなわけで、施設在宅を中心にやってきた医療機関は、医者をたくさん補充して対応していくか、報酬がものすごく減ることを覚悟して今までのようなやり方でやっていくかしかなくなったわけだ。
どちらにしても収益はものすごく減るから、訪問診療をやめざるを得ないクリニックもたくさんあるし、つぶれたクリニックもたくさんある。
患者さん自体が減ったわけではないから、残った医療機関にしわ寄せが来るんだけど、収益が上がらないから引き受けてくれるところが無かったりする。
そうなると施設の職員が入居者を病院に連れて行くことになって、ただでさえ介護スタッフは足りていないのに、負担だけ増えちゃう。

患者さんにとっても大きなデメリットがある。
月の最初に全員診て、それからは順番に一人一人診ていくわけだが、そうなると全員診た日から間もなく個別に診てもらう日が来ちゃう人も出てくる。
たとえば6月2日に全員往診の日で診てもらったけど、6月4日に個別往診の日が来てしまうと、わずか2日空いただけでまた診察が入ることになる。
そうなると月に2回診てしまったから、次の診察は次の月までなくなる。
1か月近く診察を受けられなくなってしまうのだ。
2週間に1度診てもらってた方がよっぽど患者さんのためになるというのに。

今のクリニックは南は大森、西は調布や西東京、東は綾瀬のほうまで、担当している老人ホームがある。
昨日なんか、代々木から大森に行って板橋に行き、和光に行って大泉に行き調布を回って代々木に帰ってくるというルートだった。
途中で道が混んでくると施設に着くのが遅れて文句を言われるし、移動中にパソコンに診察内容を打ち込んでると車酔いするし、ほんとしんどい。
移動時間が長くいから1日で見る患者さんの数は減ったけど、疲れ具合は今のほうがひどい。


近年まれに見る改悪といえる今回の改定。
見直してもらわないと、撤退する医療機関が増えて大変なことになる。
医者が足りてないから僕も休日を返上して働いてるけど、いつかいろいろ破たんするね。
僕の体調も含め、このままだとこれからどうなるか分からんよ。
| 服部達也 | 医療問題 | 17:12 | comments(4) | - |
見えていない
(*以前にも書いた内容だが、少し修正を加えて)


では、大丈夫だとは思いますが心配だからここも検査しておきましょうね。
心配だから、もうちょっとこの薬を飲んでいてください。

医者にかかってこのようなことを言われことがない人は、ほとんどいないだろう。
よく使われる言葉である。
でも、大丈夫なら余計な検査はしないでほしいし、あんたが心配だからって私に薬を飲ませるんじゃない。
そう思うでしょ?
本当に必要なものであるのなら、もちろん検査を受けるし薬も飲む。
しかし、必要でないものを「なんとなく」勧めてくるのは意味があることなのだろうか。


私が訪問診療で診ている高齢者に、呼吸機能が悪化して在宅酸素療法が必要になった方がいる。
在宅酸素療法では、家に酸素を発生する機械を置き、家にいる間はそこから管を伸ばして鼻から吸う。
外出するときは携帯用のボンベを引っ張って吸う。
訪問診療では十分な検査ができないために、このような患者さんは近くの大きな病院にかかって検査を受けたうえで治療を受け、それを普段はわたしが管理するような仕組みになっている。

ところが喜ばしいことに、その患者さんはものすごい回復力を見せ、すっかり酸素を吸わなくても以前と同じような暮らしをすることができるようになったのだ。
すばらしい。
酸素を吸う必要がなくなったので、在宅酸素の機械はもう必要ないんじゃないかと思い、大きな病院の医者に手紙を書いた。

しかし、その病院の医者の返事はどうも煮え切らない。
いやもうちょっと様子を見よう・・・と2か月近く経過。
さすがにもう大丈夫だろうと催促すると、酸素は吸わなくても問題ないけど、携帯ボンベは安心のため持っておいたほうがいいんじゃないかと言う。

在宅酸素療法はテイジンとか星医療機器などの業者との契約で成り立っているので業者に電話しても、一応置いておいてもいいんじゃないかという。

まあ別に吸わなくても、置いておいて困ることはないんじゃない?とみんなも思うかもしれない。
だが考えなくてはならないのは患者さんの負担だ。
在宅酸素療法を受けると、だいたい1か月で2万円ちょっとの自己負担が必要となる。
それ以外にもほかの病気の薬代やらなにやらかかるから、月の医療費だけでかなりなものになる。
この患者さんも結構痛いんだよなぁ、なんとかならないかねぇなんて嘆いていた。

医者が、安心のためとか念のために置いておいたほうがいいと思うのもわかるが、そこにはお金が発生しているのだという意識がまるで欠如してしまっている。
患者さんに1か月2万円を超えるお金を負担させ、ただでさえ足りない医療費も使うことになる。
そこに気が回らないのは悲しいことである。
そしてそんなこと医者がわからなくて当然じゃん、というふうに思われるのはもっと悲しいことである。

私はいま自由診療、自費診療に携わっていて、患者さんが払うお金とその対価(治療内容や効果)についてはかなり真剣に考えている。
患者さんがいくらのお金を使ってどういう治療を受けるかについてきちんと理解していなければつとまらない仕事だからだ。

しかし、これは保険診療でも同じことである。
不要な検査を受けてもそのお金を払うのは患者さんであるし、医者が心配だからと言って出された治療のお金を払うのも患者さんなのである。
医者や医療従事者は、もっとそのことに注意を払わなければならない。
自分がおこなっている医療行為がいくらで患者さん負担はどれくらいになるのかを知るだけでも、もっと治療に真摯になれると思うし、もっと患者さんと理解がしあえると思う。

とても大切なことだ。
| 服部達也 | 医療問題 | 17:49 | comments(3) | - |
自由診療の料金について

今日は、久しぶりにさっちゃんがクリニックに遊びに来てくれたみたいだよ。
どんな会話をしたのか、再現してみよう。

さっちゃん(以下:さ):先生、先生のクリニックでもニンニク注射ってあるよね?すっごく高いんでしょ。

私(以下:服):そうだね、1本6000円とか8000円するね。

さ:テレビで、1回1万2千円で打ってるって芸能人が言ってたよ。それってなんか高級なものが入ってるのかな?

服:ニンニクじゃなくてトリュフ注射とか?
・・・いやそうじゃなくて、同じような注射でも、クリニックによって値段はまちまちなんだよ。1本3000円とかで打ってくれるところもあるみたいだし。

さ:なんで?同じ治療なら同じ値段になるんじゃないの?病院によって値段が違うなんておかしいじゃん。

服:たとえば、盲腸の手術とか、風邪の治療とか、保険が使えるものは料金が決められていて日本なら大抵同じ金額になる。
でも、保険が使えないいわゆる自由診療と呼ばれるものは、医療機関ごとに料金を自由に設定していいことになってるんだよ。

さ:じゃあ、極端な話、注射1本100円とかでもいいってこと?

服:そうだね。でも、それはよく高級なお寿司屋さんとかにある「時価」ってやつとは違って、ちゃんと料金を院内とかホームページに掲示しておかないといけないことになっている。
じゃないと、だいたいニンニク注射なんて高くても1万くらいだろう、と思って知らないクリニックで注射されて、10万とかとられたら困っちゃうでしょ。

さ:まあね。

さ:じゃあさ、病院で好きに値段を決めていいっていうけど、どうやって値段をつけてるの?

服:たとえばニンニク注射とかだったら、まず原価を計算する。注射器の値段、お薬の値段、注射した後に貼るテープの値段などなど。そういうのを計算して、もとにかかるお金を計算する。
そこからだいたいの金額を計算するかな。
保険診療だと、患者さんからもらうお金以外に支払機関からお金が入るけど、自由診療は患者さんからいただくお金がすべて。
だから、赤字にならないように料金設定を考えなくちゃいけないんだよね。

さ:じゃあ、原価プラスいくらか、って感じ?

服:実際には、家賃を払ったり看護師さんや事務員さんの給料も払わなくちゃいけないし、医者もお金がないと食べていけないでしょ。
だから、そういうのも含めて料金を考えないといけないね。

さ:えー、家賃とかも注射代に含まれちゃうの?なんか東京電力みたいだね。



自由診療の料金は勝手に決めていいことになっているが、まったく適当につけても意味がない。
たとえばハートリークリニックのプラセンタ注射を見てみると、2本で3500円となっている。
これは、新宿地区でのほぼ平均となっている。
極端に安いところもあれば、高いところもある。
ちなみに、使っているプラセンタの種類や仕入れ値はほぼ同じである。
プラセンタの値段は、新宿のいろんなクリニックの料金も見て、あまりにも偏った感じにならないようにつけた。
原価だけではなく、そういうことも考えなくてはならない。
儲けようと思っていくら高くしようとも、患者さんがそれを選ばないんだったら売上はゼロだからね。


一方、アファームマルチプレックスというレーザーやACRという血小板注入療法はかなり安めの設定になっていて、患者さんからなんでそんなに安いのかと聞かれることがある。
もちろん、アファームやACRだけでなくダイエットの治療もかなり低価格になっているのだが、これには理由がちゃんとある。

家賃や人件費なども料金設定に反映されると書いたが、それ以外で金額の大きなものに広告宣伝費というものがある。
美容クリニックはたくさんあって、その中から選んでもらうためにはまず知ってもらう必要がある。
そのために広告を出すのだが、ハートリークリニックはその宣伝広告費をほとんど使っていない。
HPの製作費くらいだ。

ほかのクリニックの話を聞くと、うちくらいの規模では月に数百万単位で宣伝広告費を使っているところもある。
そのお金は、当然患者さんの治療費に上乗せして徴収することになる。
当然、患者さんの数を集められれば一人あたりの上乗せも少なく済むが、うちは広告費を全くといっていいほど使っていないので、そのぶん最初から治療費を安く設定できるのである。
基本的に、これが治療費が安い理由のほぼすべてで、サービス的なものは他のクリニックに劣るとは思わない。

もちろんこれはクリニックの戦略的なもので、宣伝をしているからダメ、してないからいい、という単純なものではなく、うちのやり方いいでしょうと自慢しているわけではない。
うちは医者が自分しかいなく、すべての患者さんにコースを申し込んでいようが必ず毎回診察をすることにしているから、宣伝をして患者さんがたくさん集まってもさばききれない。
いまくらいのやりかたがちょうどいいのだ。
だから、今のやり方を変えることはないし、宣伝や広告にお金を使うことは今後も考えていない。

自由診療というのは、必要と思う人が選んで治療を受けるものだから、興味がない人にとっては高いと思われてしまうかもしれない。
ちょっとディープな世界でもあるし、お金の話は実際わからない患者さんも多いと思うから、あえて今回書いてみることにした。
治療を受けるかどうかにはお金の問題は欠かせないものだから、患者さんもなにか思うところがあったら遠慮なく相談してほしい。
そう思っている。

| 服部達也 | 医療問題 | 17:05 | comments(7) | - |
老人の終末期医療のあり方について

動物は年を取ると自然に食べる量が減り、水を飲む量が減り、段々死に向かっていく。
これは老衰というもので、病気ではない。
医療の発達により、こういう状態になっても機械的に栄養を与えることで心臓が止まるまでの期間を延長することができるようになった。

私が診ている患者さんでも、100歳を目の前にして自然に口から食べ物をとれなくなり、病院に行ったら胃ろうを造られてしまったかたがいる。
胃ろうとは、体の外から胃に向かって穴を開け、チューブを差し込み固定してそこから栄養を流し込む・・・というもの。
なんらかの原因で口から食べ物をとれなくなった人のためにおこなわれる治療だ。

老衰は病気ではなく自然の現象だと思っているから、胃に穴を開けて管を通して栄養を送り込むという治療が必要なのか。
わたしは疑問に思った。
もちろん、栄養を流し込むことで死ぬまでの期間が延びるわけだから、治療が成功したと言えないこともないけど、わだかまりが残る。


老人の終末期の治療は、判断が難しい。
なるべく自然な形で死にたいと願っている人もいれば、一分一秒でも長く生きたいと思っている人もいる。
本人とは違う思いを家族が抱いていることもあるし、家族の中でも意見がばらばらだったりすることもある。
肝心の本人も老化によって判断能力が落ち、考えが混乱して言っていることが毎回変わったりする。
こういうなかで、本人にとって一番よい死の迎え方というのがどういうものなのか、誰かが判断しなくてはならない。
わたしは自然なかたちで家で亡くなってほしいと考えているが、それを本人や家族に押し付けてはならないと思うし、勝手に話をすすめてはならない。
いやー、本人が死ぬときは我が家で死にたいって言っていましたよ、なんて家族に伝えても、それは無理いざとなったら病院に運んでほしい、と言われることもある(このパターンが最多)。
すべての人の望むようにはならないのだから、なるべく本人の意思に沿って希望に添えるように、医療側や家族で協力し合っていけるのが理想だ。


一方、日本の医療のあり方も考えてみよう。
公的な病院じゃない限り、医療機関は赤字では経営が成り立たない。
どこの会社だってそうだろう。
医療機関は治療をすることによって報酬を得る仕組みになっているが、どういう治療をすればいくらもらえるというものは決まっている。
もうこれ以上は治療をしないで安らかに眠ってほしいと家族が思っても、そういう状態の患者さんをずっと置いておけるほど余裕のある病院はあまりない。
医者も、病気を治すことは教えられているが、いかに死を迎えさせてあげるかについては習っていない。
つまり、病院に入院させている以上は、ある程度の治療を施されることは覚悟しなくてはならない。
もちろん、静かに看取ることを実践している病院もあることは知っているけど、ほとんどの病院では現実問題として無理がある。


医療側は、死をいかに迎えてもらうかということについてもっと考えていかなくてはならないし(ただ治療を施すことだけが医療ではないと気づくべき)、患者側もいまの制度ではなかなか安らかに死ぬのは難しいかもしれないと理解したほうがいい。
安らかな死を迎えるためには、自宅に引き取ったり、それなりの施設に移すことも積極的に考えなくてはならないことが多いのだ。
赤ちゃんが生まれるときは、病院で産む人もいるだろうし、自宅で産む人もいるだろう。
どういう形であれ医療従事者がかかわっていると思うけど、死を迎えるのも生まれるのと同じように大事な節目だと思う。
おざなりでいいのか。

死はタブーではないし、死に向かっている人に治療を施さずケアをしていくことも医療のかたちだし、もっともっと真剣に死に向き合っていかなければならないということを、国も医療も患者もみんなで考えていかなければならない。
正解はないことだからこそ、考えて話し合うことが必要になってくると思う。
難しいやね。

| 服部達也 | 医療問題 | 14:21 | comments(8) | - |
ちょっと古いけど

ちょっと前におこなわれた、民主党がおこなった提言型仕分けとかいうイベント。
わけわからん提案があったよ。
いわく、「開業医と勤務医の収入を同じレベルになるよう調整して行こう(開業医の収入を減らしてそのぶんを勤務医に回す)」だと。

な に を ば か な こ と を

どこの世界に、社長と従業員の給料が違うのはおかしいからいっしょにしなきゃ、という会社があるんだろうかね。

会社の社長と同じように、開業医は経営の負担や責任を背負っていて、開業や経営にかかわる債務を負っている。
そういうのがまったくない勤務医と、なぜ収入に差があってはならないのだろうか。
どの医者にだって開業の自由はあり、勤務医として働くことが義務になっているわけではない。
開業医との収入に差があるのはおかしいというのなら、開業すればいい。
とても簡単な話。
それを役人がどうこう言うのは、まったくの問題外。
そんな簡単に開業できるわけないじゃん、というひともいるが、じゃあ苦労して開業した人と差があるのは当然だとは思わないのだろうか。。

それと、診療科目ごとにも収入が違うが、事業仕分けではそれも修正していこうという提案が出ていた。
これもまったくばかげた話。
産婦人科とか小児科とか救命救急のような、労働環境が悪い割には収入が少ないような科目については補助なり何なり考えるべきだが、眼科の開業医は儲けすぎているから収入を減らすようにしようなどという発想はどこから生まれてくるのか。
理解しがたい。


ちなみに、「開業医と勤務医の収入に差がある」というデータにおける「開業医」とは、法人格を持つ医療機関の院長のことを指している。
個人で開業している診療所・クリニックの院長の収入は加味されていないのだが、「開業医」といってしまうと、一般の人たちからはそういう開業医まで入っていると思ってしまって、開業医はすべからく儲けていると思われてしまう。
医者の間でも、開業医=金儲け主義のかたまりと思い込んでいるひとがいて、やっかみの言葉を投げてくる人がいるくらいだから、一般の人は余計そう思っているに違いない。
おそらく、提言型事業仕分けに参加していた役人も、勘違いしているに違いない。

まあ、ハートリークリニックは自由診療のみなのでそもそも関係ない話なんだけど、さすがにちょっとおかしいんじゃないのかなぁと首をかしげてしまったね。

| 服部達也 | 医療問題 | 17:12 | comments(2) | - |
混合診療に関する判決

4年も前のことになるが、清郷伸人氏が起こした裁判について書いた。→こちらからどうぞ
ようやく最高裁の判決が出たので、結果を書いておく。


裁判の背景はこうだ。

原告である清郷伸人氏は腎臓癌を患っており、インターフェロンの注射とLAK療法(活性化自己リンパ球移入療法)を受けていた。
インターフェロンは健康保険の適応内で、LAK療法は高度先進医療に組み込まれ、自費ではあるが同時に2つの治療を受けられていた。
ところが、この治療を受けている最中に、LAK療法が高度先進医療の対象外となってしまったのだ。
そうしたところ、病院側から、今後はインターフェロンの治療代も診察代もすべて自費で払ってね、保険は使えないから・・・と言い渡されてしまったのである。

ええ、どういうこと?、と思うだろう。

ある病気の治療を健康保険を使って治療しているときに、保険で認められていない治療を受けると、なぜか健康保険で受けている治療もすべて自費で払わなくてはならないというルールがある。
健康保険の治療と、自費診療の治療を同時に受けてはならない。
これを混合診療の禁止という。

今回は、LAK療法が先進医療専門家会議で有効性が明らかでないと判断され、枠組みから外れてしまった。
そうなると、この治療法は完全に自費診療として扱われる。
保険適応の治療と同時に受けると、混合診療となってしまうのだ。
*別の病気に対して、Aという病気に対しては保険治療、Bという病気に対しては自費診療というケースならば混合診療にはならない。あくまでも同じ病名に対して、の話である。

清郷伸人氏はこれに対し、インターフェロンに関する治療だけは以前と同じように保険適応にしてくれといって裁判を起こしたのである。


2007年11月に、東京地方裁判所は原告の勝訴とした。
医療機関は、すわ混合診療に風穴が、と色めき立ったものである。
ところが、2009年9月に高裁が出した判決は、一審の判決を破棄して原告の訴えを退けるものであった。
そこで原告は上告し、今回最高裁の判決が出たのだ。

結論から言うと、最高裁は二審の判決を支持し、上告を棄却した。
つまり、混合診療の一部に対する保険支払いは認められず、原告側の敗訴ということ。


判決文から自分なりにまとめてみると、健康保険の適応となるものは、医療の質や安全性や財政的な問題を考えると、ある程度の範囲にまとめざるを得ない。
そして、保険診療の制度や医療を守るためには、保険で認められていない医療を受ける場合には、混合診療として保険の給付を認めるわけにはいかない。
これは、健保法の第86条の解釈として妥当なものである。
ということらしい。

ま、なんとなく言いたいことも分かるが(なんとなくね)、個人的には混合診療は一部認めるべきではないかと考えている。

私は医者になって呼吸器内科に入局したが、そこではいろんな癌患者に対する抗がん剤療法に携わった。
肺がんはもとより、皮膚がん、胃がん、乳がんなど手術では取れなかった癌に対する治療をおこなっていた。

ガン患者さんの治療に触れれば分かると思うが、彼ら彼女らはみんな治るために頑張っている。
抗がん剤治療だけでは5年生存率(5年後にも存命している割合)は20〜40%程度しかない(癌の種類や転移の状態による)。
本人や家族とすれば、他にも何か方法がないかと情報を集め、あの食べ物がいいと聞けば取り寄せ、あそこの温泉がいいと聞けば出かけ、すがるのである。
ごく自然、当たり前の行動だろう。
そして、まだ日本では数少ない新しい治療法があると聞き、どうやらそれで効果が出た人もいるらしいと知れば、試してみたくなるのも当然のことではないか。
効かないかもしれないけど、試せるものは何でも試してみたい。
生き続けられる可能性があるのなら賭けてみたい、と思うのは誰でもみんな思うことではないのか。
それなのに、保険では認められていない医療を受けたら、せっかく保険でやってあげてる治療代も全部自分で負担してね、なんて言い草があるだろうか。
傲慢すぎやしないだろうか。

特に、今回の原告である清郷氏の場合、もともと国が先進医療として認めていたLAK療法を受けて、それを継続したいだけなのに、いきなりとりさげて先進医療制度からはずし、もう混合診療にしちゃうもんねなんてやりかたをしたわけだから、せっかくすがって登り始めた梯子を突然はずされた清郷氏の心中を察するにやりきれなく思うのだ。

多少感傷的になりすぎているかもしれないが、今回の判決には納得できないものがあるのだ。

今回のことをきっかけにして、国は混合診療のことにもしっかり腰をすえて協議してもらいたいと思う。
議員同士で揚げ足を取り合ったり、蹴落とそうとあらを探したりしている暇があるのなら、苦しんでいる人たちのために知恵を出して欲しいものだ。

とはいえ、おそらくTPPに参加すれば、混合診療は解禁され、株式病院が乱立し、質より量の医療が展開されることになるだろうから、私の感傷も古きよき時代の遺物ということになるかもしれない。

そうならないことを願う。

| 服部達也 | 医療問題 | 16:20 | comments(8) | - |
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