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リハート、それは心癒す日々。

美容内科医 服部達也 ブログ
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老人の終末期医療のあり方について

動物は年を取ると自然に食べる量が減り、水を飲む量が減り、段々死に向かっていく。
これは老衰というもので、病気ではない。
医療の発達により、こういう状態になっても機械的に栄養を与えることで心臓が止まるまでの期間を延長することができるようになった。

私が診ている患者さんでも、100歳を目の前にして自然に口から食べ物をとれなくなり、病院に行ったら胃ろうを造られてしまったかたがいる。
胃ろうとは、体の外から胃に向かって穴を開け、チューブを差し込み固定してそこから栄養を流し込む・・・というもの。
なんらかの原因で口から食べ物をとれなくなった人のためにおこなわれる治療だ。

老衰は病気ではなく自然の現象だと思っているから、胃に穴を開けて管を通して栄養を送り込むという治療が必要なのか。
わたしは疑問に思った。
もちろん、栄養を流し込むことで死ぬまでの期間が延びるわけだから、治療が成功したと言えないこともないけど、わだかまりが残る。


老人の終末期の治療は、判断が難しい。
なるべく自然な形で死にたいと願っている人もいれば、一分一秒でも長く生きたいと思っている人もいる。
本人とは違う思いを家族が抱いていることもあるし、家族の中でも意見がばらばらだったりすることもある。
肝心の本人も老化によって判断能力が落ち、考えが混乱して言っていることが毎回変わったりする。
こういうなかで、本人にとって一番よい死の迎え方というのがどういうものなのか、誰かが判断しなくてはならない。
わたしは自然なかたちで家で亡くなってほしいと考えているが、それを本人や家族に押し付けてはならないと思うし、勝手に話をすすめてはならない。
いやー、本人が死ぬときは我が家で死にたいって言っていましたよ、なんて家族に伝えても、それは無理いざとなったら病院に運んでほしい、と言われることもある(このパターンが最多)。
すべての人の望むようにはならないのだから、なるべく本人の意思に沿って希望に添えるように、医療側や家族で協力し合っていけるのが理想だ。


一方、日本の医療のあり方も考えてみよう。
公的な病院じゃない限り、医療機関は赤字では経営が成り立たない。
どこの会社だってそうだろう。
医療機関は治療をすることによって報酬を得る仕組みになっているが、どういう治療をすればいくらもらえるというものは決まっている。
もうこれ以上は治療をしないで安らかに眠ってほしいと家族が思っても、そういう状態の患者さんをずっと置いておけるほど余裕のある病院はあまりない。
医者も、病気を治すことは教えられているが、いかに死を迎えさせてあげるかについては習っていない。
つまり、病院に入院させている以上は、ある程度の治療を施されることは覚悟しなくてはならない。
もちろん、静かに看取ることを実践している病院もあることは知っているけど、ほとんどの病院では現実問題として無理がある。


医療側は、死をいかに迎えてもらうかということについてもっと考えていかなくてはならないし(ただ治療を施すことだけが医療ではないと気づくべき)、患者側もいまの制度ではなかなか安らかに死ぬのは難しいかもしれないと理解したほうがいい。
安らかな死を迎えるためには、自宅に引き取ったり、それなりの施設に移すことも積極的に考えなくてはならないことが多いのだ。
赤ちゃんが生まれるときは、病院で産む人もいるだろうし、自宅で産む人もいるだろう。
どういう形であれ医療従事者がかかわっていると思うけど、死を迎えるのも生まれるのと同じように大事な節目だと思う。
おざなりでいいのか。

死はタブーではないし、死に向かっている人に治療を施さずケアをしていくことも医療のかたちだし、もっともっと真剣に死に向き合っていかなければならないということを、国も医療も患者もみんなで考えていかなければならない。
正解はないことだからこそ、考えて話し合うことが必要になってくると思う。
難しいやね。

| 服部達也 | 医療問題 | 14:21 | comments(8) | - |
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コメント
家の近所には去年大竹しのぶさんが主演し話題となった、看取りの医者を書かれた先生が開業しています。皆がこう理想には行かないけれど尊厳のある最後の迎え方が出来たら、残った遺族の悲しみも軽くなって出来る事はしたと思える様な気がします。
| ろびんちゃん | 2012/03/06 11:34 PM |
こんにちは。
死の問題…難しい問題ですね。
このところデスプラン(いかにして死んでいくか、どのように死をむかえるか)を生前に自ら計画して、葬儀屋とか家族と話し合っている人も出てきたけど…。

老々介護の問題や、家族の介入不足もあるし、積極的にかかわる家族でも何もしないで看ていくのに抵抗を感じて、認知症でも高齢でも胃ろうを作ってバンバン栄養を入れて、というケースもまだ多いですしね。

緩和ケアから今の病院に転職して5年、いまだにギャップを感じることも度々です。
やっと胃ろうのガイドラインが出来てきているけど、少しでもEnd Life Planについて元気なうちから考えてくれる人が増えてくれると良いな、感じますね〜。
| musashi | 2012/03/07 7:53 AM |
先生、こんばんは。
病院通いで、人生初・インフルエンザに掛かってしまいましたA型だから、3日程で軽く済んで復活です☆


先生、この記事を書くの、本当に難しかっただろうな〜って、何度も読み直してしまいました。
この問題はこれから超高齢社会で多くの人が向き合う難しい問題ですよね・・・

私や家族や親戚は、母の癌闘病と平行して、父方祖父と母方の祖父母の介護も同時進行で看て来ました。
私は当時保育士。まさに、揺りかごから墓場まで・・・を
地で体験してしまいました。

産まれる時は、そりゃぁ情報も様々あり、出産スタイルも自宅出産・水中出産・従来の病院での出産と選べて、喜ばしい心躍る瞬間に向けての、選択ですよね
でも選択の自由と当たり前さも、ここ最近の事なんですよね

日本って、亡くなった後の「葬儀」の形態に関しては、やっとオープンに情報も飛び交う世になったし、家族葬・お別れの会・一軒家で料理人も全て貸切での葬儀や、望むスタイルに近い葬儀が選べるのが普通になったけど、死に向けてのスタイルの奨励って・・・
やっとやっと時々耳にするぐらいの遠くおざなりになっているとっても難しい課題ですね・・・


先生もお分かりのように、
病院任せにするのが一番、気持ち的に楽・・・なご家族が多いいのは、病院内で私も遭遇し、驚き悲しい気持ちになったりと経験してきました。

核家族、皆それぞれ仕事・生活に事情がある、自宅事情・・・
そりゃぁぁ色々ありますよね。
でも、根本は日頃の家族の絆の濃さや、家族間で会話があったかとか、亡くなりゆく患者さんの生き様や、家族間の愛情とかなのかな・・・
日頃の家族の形が・・・もろに出てしまう場面でもありますよね

私は、ご家族が、まだ死への心の準備が出来ていないが故の、
愛情故の、まだ1分1秒でも生かしてくれ!・・・とすがってしまうのは理解ができ、共感し、お気持ちを推し量る事ができます。
生きていく側の健全な立ち直り・・・も、とても重要なので。


でも、単に日頃の責任放棄からの罪悪感に駆られての、延命希望は・・・自分ではしたくないし、無念です。

その罪悪感故に、葬儀では花や棺桶や香典返しに、やけにお金を掛けて、自分を納得させて、故人に許しを請うてしまったり・・・
そんなチグハグが起きてしまうのも残念です。
死にゆく時間を、当たり前のように堂々と選べる世の流れになってほしい・・・

少しずつでも、そうならないかな?なるかも?
超高齢化社会に突入しているから、看取り経験者が増えれば、そんな声も上がってこないものかなぁ、と期待感もあるんですが・・・(楽観的すぎますかね?)
そして、若い世代の先生方が、マニュアル通りではない新しい感覚で看取りの現場を変えていってくれないものでしょうかね


私の父方祖父は、病院で100歳で亡くなりました。
98歳で胃ろうになりました・・・
病院で栄養士をしている、献立を考えている妹は大反対
でも、癌で母が亡くなる約1年前で、父も私も仕事をしていて、誰も自宅で看てあげられなかったのです・・・
可愛そうな事をしたと思います・・・

でもその経過の中で、老人病院の女性院長先生が、こうっしゃりました(母が長年マメにお世話していたのを知っていたので)
「お宅の家族は今はお母さんに向き合うべきだから、致し方ない選択を提案します。でも、おじいちゃまだって、あんなに良くしてくれた、良いお嫁さんの為に分ってくれるはず・・・」と。
私達は皆ギリギリの精神状態の所で日々過ごしていた時期なので、この後押しで、とても気持ちが楽になれました。

でも、そう後押しする役の先生って・・・
大変な役目をあえて引き受けて下さって、私は感謝しています

そうなんですよね、先生に誘導してもらうのって、楽なんですよね。
でも、その時の医療関係者の方の関わり方ひとつで、看取り後の精神的な満足感、負担感の軽減、は大きく変わってきます。
(その逆で後悔が深くなる場合もありますが・・・)
今の医療環境では、死への判断・スタイル提案を積極的にはできなくても、看取り側と話がきちんと出来るなら、そこまででもいいのではないか?と私は思います。
逃げないで、質問を受け止めてくれる姿勢に満足します。
それだけで、救われる人も多いいのではないでしょうか。

・・・だって、運が良くなければ、それすらままならないのだから・・・

死にゆく家族への不安な気持ち・・・を聞いてくれる
痛いのかなぁ?(薬が効いてて大丈夫ですよ)等のやり取り
生の時間はあとどれくらい?・・・に説明をしてくれる

等、とても基本的な、死にゆく患者の家族が話す
| みやこ | 2012/03/08 10:21 PM |
>ろびんちゃんさん
ブログ以外にもコメントをいただきましたが、私が書いたことに賛成も反対もいろいろな考えがあると思います。
大切なのは、死の迎え方について各人が考える機会を持つことです。
理想論ばかり語ってても現実では何の役にも立たないという方もいますが、人の意見を読んで自分はそれには反対だ、自分はこう思う・・・と思ってくれただけでも書いた意味があると思っています。

ろびんちゃんさんへの返信に書くことではないと思いますが・・・
| 服部 | 2012/03/09 3:23 PM |
>musashiさん
死についての話をタブー視する傾向にありますが、かならずみんな一度は経験するわけですから、もうちょっときちんと考えておかないといけないですよね。
まあ私ももっと年を取って死が近づいてきたら、自分が死ぬことなんて考えたくもないよ・・・なんていうふうになるかもしれませんけど。
どうでしょうか。
| 服部 | 2012/03/09 3:27 PM |
>みやこさん
*ごめんなさい。
コメント欄には字数制限があるみたいで、最後のほうが切れてしまっているみたいです。


この文章を書くの、難しかったです。
ほんとは、もっともっと書きたいことがあるんですが、まとまらないのでこんなもんでとりあえず・・・

弱っていくお年寄りに対して治療をしないと、見捨てた、十分な治療をしてあげられなかったと思う人もいますが、十分な治療と過度な治療は違うということをわかってほしいなと思います。
これは、医療側が特にわからなければならないことです。

みやこさんの祖父の先生のように、相手を慮って声かけしてくれる医者が多いと、家族も救われますよね。
| 服部 | 2012/03/09 4:39 PM |
先生ごめんなさい、文字オーバー・・・とゆうより
難しくてまとまらなかった(^^;)

>十分な治療と過度な治療は違うということをわかってほしいなと思います

運良く理解のある先生に巡り合う・・・・
そんな縁任せではなく、その意識・認識が当たり前のようになるといいですよね。

私はきっと少しずつは変わるのだと信じてるので☆
(最後はそれかい!・・・と言わないでください^^;)






| みやこ | 2012/03/10 11:20 PM |
 先生、私はこの頃こんなことを思います。
 人が認知症になるのは、死を恐れない為。
 終末医療…どうすれば良いかは、やはり御本人でなければ本当のところは分らないのだと思います。
| 美香 | 2012/03/11 10:38 PM |
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